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青春アメとミエナイ彼女

24話 ミエナイ撮影

 ←23話 向き合い方 →25話 決断


 最後の出演者、君島智幸の撮影。
 撮影場所は創始者の銅像前。指定したのは俺だ。
 ここで智幸と出会ったとき、夜桜に囲まれて儚げに立つ姿が印象的だったから選んだ。残念なのはすでに桜の花が散ってしまったことだけど、こればかりは仕方がない。
 六月特有のじめじめと湿気を含んだ空気は肌にまとわりついて不快だった。
 月明かりは分厚い雲に遮られている。微妙な天候ではあったが、雨は降らなさそうなので決行した。
 真季と海、そして俺は撮影準備に取り掛かる。
 肝心の智幸はというと、まだ現場に着いていなかった。撮影開始予定時間は午後九時三十分で、いまはまだ十分前だから遅刻というわけではないけれど……。
 どうにも不安だ。今日に限って夜の闇を濃く感じる。
 二部の授業はすでに閉講し、周りに学生はおらず静寂だけが漂っている。まるで黒い海に浮かんでいるみたいだ。これがもし真季と海がおらず、ひとりだったら足元をすくわれて飲み込まれるような不気味さがあった。
 結局、あの展望台の一件から智幸とは会えないままだった。
 最後に見たあいつの表情は哀しい微笑で、それがずっと網膜に焼きついたまま、時間が止まってしまっているかのような毎日を送っていた。
 智幸はカメラの前でなにを話すのだろうか。
 あいつの事情を知ったいまだからこそ思うが、この自分を語る撮影というのは、ひょっとしたら智幸にとって酷なんじゃないだろうか。
 一度は撮影を打ち切ってしまうのもアリかと考えたが、それはある意味で智幸の居場所を認めていないことと同義だ。これは二部メディア学科全員が参加して完成する映像。智幸の出演は不可欠。
 言いたくないことは言わなくていい。無理する必要はない。撮影に入る前にそれだけは言っておく必要があるだろう。
 ほかに問題があるならば――
 自分の手を見つめる。
 この手で智幸を、智幸の部分を、きちんと撮ってやりたいと思う。 だけど同時に不安もある。
 俺は智幸を撮れるのだろうか。
 ちゃんと、あいつの心を切り取って映し出してやれるだろうか。不安がぞわぞわと胸の内に広がっていて、プレッシャーで胃が締め付けられて――
「九ちゃんッ!」
 わっ、と大きな声量が塊となってぶつかってきた。意識が目を覚ます。
 気づけば、頬を膨らませて怒る真季が目の前にいた。
「もうっ! さっきからずっと準備できたよって呼んでたんだよ!」
「す、すまん」
「正確にはずっとじゃなくてずーーぅっとだからね。アメトーークみたいに伸ばし棒二本も付けちゃうレベルでの連呼だよ。もうこれから九ーーちゃんって呼びたいぐらいだよ。いっそきゅうりのキューーちゃんって呼んじゃうぞ」
「すまん」
「すまんって……。そこいつもならツッコむでしょうよ。らしくないなぁ、もう。マジでこないだから変だよ九ちゃん。いよいよラストカットだよ。トモちんの撮影なんだよ。しゃんとしてよ」
 真季の軽口にも対応できないほど、どうやら俺の神経はすり減っているらしい。
 今朝見た不快な夢が脳にこびりついている。いまも俺はどこかで怯えている。周囲の暗闇に紛れてひっそりアイツがカメラを回して、俺の一挙一動を撮って、性質の悪いマスコミみたいに悪辣な質問をぶつけてくるのではないかと。
「トモちんまだかな……早くこないかな」
 真季は唇をとがらせてぶつくさ独り言を漏らしてた。
「いつもなら十分前にはもう現場入りしてたのに、今日に限ってまだきてないなんて……。最近のトモちんもなんか変なんだよな。あたしと一緒の授業欠席してるし、メールもろくに返ってこないし。なんかあったのかな……」
 真季の独り言で俺に質問してきたわけじゃないのに、なんだかばつが悪くなってふいに目をそらしてしまった。その一瞬の動作を真季は見逃さなかった。
「九ちゃんなにか知ってる……?」
 智幸が授業を休みがちになっているのは知らなかった。ただ、なにかあったと聞かれれば心当たりは存分にある。
「九ちゃんも変で、トモちんもなんか様子が変で……あれ、そうだ、そうだよ。二人ともなんか変だ。これって無関係なの? 無関係じゃないよね?」
 こういうときの真季は目敏かった。こちらに詰め寄って「ねえどうなの」と聞いてくるが、なんて答えればいいかわからない。
「トモちんが前の撮影に不参加だったのも、九ちゃんがどっか上の空なのも、同じぐらいのタイミングで……なにか知ってるんでしょ九ちゃん? そうだ、ぜったいなにか知ってる」
「…………」
 俺の沈黙はある意味で肯定しているようなものだった。
「なんでダンマリなのさ。なんで話せないのさ! マジでトモちんとなにかあったの? 話してよ九ちゃん。あたしちゃんと聞くからさ、ねえ、ねえってばっ」
 真季が俺の両肩を掴まえて前後にぐらぐら揺らす。ぐるぐる目が回って気分が悪くなる。
「真季」
 助け舟を出したのは海だ。真季を制止させてくれた。
「そんな無理やり聞こうとしちゃダメだよ。九だって言いたくないことがあるんだ」
「だけどひとりでずっとずーーぅっと抱え込むのもよくないでしょ。話してくれれば解決することだってあるかもじゃん。思い詰めたってどうしようもないでしょ」
「……なるほど、確かに、一理ある。真季の意見も間違いとは言えない。わかった。じゃあ止めない。ぐらぐら揺らしてどうぞ」
「まかせろ! うおりゃあああっ!」
「助けてくれねえのかよ海っ! 真季もやめろこのバカっ!」
 俺は真季の手を乱暴に払う。揺らせば気持ち全部吐き出すとでも思ってのかこいつは。壊れた自動販売機じゃねえぞ。
「なに考えてんだ真季!」
「心配してんだ!」
 俺の芯を揺さぶるように語気を強める。両足をしっかりと地に踏みしめ、頼っていいと言わんばかりにぽんと胸に手を当てていた。
「あたしはただ心配なだけだよ。こないだから九ちゃんの調子がおかしくて、時間が経てば復活するかと思ったけどそうじゃなくて……友達の元気ない姿見るのが嫌なんだ。不安なんだよ。今日、いつもの楽しいゼミと雰囲気違うもん。なんだかボタンが掛け違えたみたいにズレていって、それでそのズレがどんどん大きくなっていっているような気がして……とにかくいまの感じはダメな気がして、ものすごくまずい気がして……」
 真季には珍しく声がしょげていた。俺の胸の内に蠢く不安が伝染したように真季は目尻を下げた。いつもひだまりみたいに明るい真季に翳りが差しているなんてめったにないことだ。
 困った。撮影前に沈んだ空気になるのはよくなかった。
 俺のせいだ。ぐらぐら足元を揺れて、ぼやぼやしてばっかだから撮影班まで不安が広がる。
 心配するなと、声をかけようとしたそのときだった。
「遅くなったね」
 夜の空気に響いた、鈴を転がしたような智幸の声。
 きた。
 背後に、智幸がいる。
 細胞が騒いでいるように肌がチリチリした。
 俺はゆっくりと、最初かける言葉を探りながら、スロー再生みたいに振り向いた。
 ――え。
 振り向いて、唖然とした。
 一瞬、本当に一瞬だったけれど、視線の先にいた人物を智幸だとハッキリしなかった。夜の暗がりのせいもあるかもしれないが、それが主な原因ではない。LED電球の光源が最も照らしている足元、そこから徐々に目線を上げていく。
 服装はさっぱりとしたパンツルック。ジーンズに白のTシャツ、そして、それを目撃した瞬間、のどが失われたみたいに絶句した。
 髪を切っていた。
 もともとショートだったけど、艶やかな亜麻色の髪はあごの辺りまで伸びていた。
 それがいまはばっさり切り落とされている。
 短髪。丸っこい両耳も出ていて、世間的に言えばベリーショートというのだろう。
 断髪後の智幸の印象はだいぶ様変わりした。端正な顔立ちがよりハッキリして、スポーツ好きな美少女のように見えた。
 ――だが中性的で、美男子のようにも見えた。
 ざわついた。
 胸の奥でなにかが黒く蠢いていた。
 ばさり。ばさり。髪が切り落とされる残酷な音が聞こえてくるようだった。それが自分の胸の奥にあるものすらちょんぎっていく痛覚があった。
 え、え、と真季が言葉にならない声を漏らす。海は無言のまま目を細めている。その断髪はイメージチェンジにしてはあまりに短すぎて、ひどく自傷的に映った。異変の前兆を感じていた真季と海にもそう見えただろう。
「……トモちん、それ……?」
 だからほら、真季なんて動揺してぐらぐらと視線が揺れている。
「高校の頃はこの髪型だったよ。お父さんによく髪切れって言われてたから」
 だれもが狼狽するなかで智幸だけがやけに落ち着いていた。それが奇妙で、アンバランスで、違和感だらけだった。
 なにが起きた?
 一体なにが彼女に髪を切らせた……?
 こいつにとって髪を切るって行為は重いことなんじゃないのか。重いはずだろ。
 想像力をフル稼働して智幸の背後に抱えている原因を探ろうとする。断髪はあいつの意志? あいつの決意? それともほかの要因? 父親?
 ――それとも俺か?
 俺がいけないのか? 池袋で見返り以上の求めたから? でも、だからといって髪を切る必要があるのか?
 わからない。夜の漆黒がすべてを隠して見えない。
「さあ、撮影をはじめよ」
 智幸はゆったりとした足取りで創始者の銅像前までたどり着くと、振り返ってカメラの正面に立った。夜の闇にさらわれそうな儚げな表情で、その双眸は俺に焦点を合わせていた。
 撮れ、というのか。
 髪を短く切ったお前を。
 これまで維持してきた自分らしさを失ったお前を。
 こうありたいというものを投げ捨てたお前を。
 この俺に撮れっていうのか。
「ふっざけんなッッ!」
 血液が沸騰した。
 目の前が真っ赤になる。胸の奥がぐしゃぐしゃに熱くなった。
「なんだよ……なんなんだよそれはっ! 違うだろ! お前はそうじゃねえだろ君島! ヤケになってんのかッ!」
「ヤケには、なってないよ。私は冷静だよ。本当だよ」
「じゃあなんで! どうしてそんなっ、そんな髪を……ッ! 俺か! 俺がいけなかったのか!」
「それは、違うよ。本当に違う。君が悪いとか、そういうことじゃない」
「じゃあなんだよ! ふざけんな、ふざけんなよッ! いまの君島を映せるわけないだろ! だっていまのお前は、お前は……っ!」
「君が私に望んだんだよ。出演してほしいって」
「違う! 俺が撮りたかった画は違う!」
「違わないよ」
「違えよッ! 俺が撮りたい画は、俺がいつも憧れを抱いている画は――ッ!」
 息を巻いた瞬間、かみなりに撃たれたような電流が全身を駆け巡って自覚する。
 ――それでも、撮ってほしいのか。
 どんな状況になっても、どれほど自分の外見が変わったとしても、それでも俺ならと自分の在り方を委ねてくれたのか。
 俺が撮りたかった画、それはずっと変わらない。高校の文化祭で観た映研の映像。カメラにしか映せないような人の感情や心情を切り取ったカットの連続。
 カラダだけではなくココロも。
 目に見える世界だけではなく、目に見えない世界だって映すこと。
「――いまの私じゃ映せない?」
 髪を切った智幸。こいつにどんな心境の変化があったのかわからない。はさみで切られて落ちたのは髪だけじゃなく、願いとか、希望とか、理想とか、そういった光り輝くものさえ切り落とされた気がした。
 どうして智幸がこんな状況に陥ったのか、足りない自分の頭をフル回転させてもなにもわからない。悔しいぐらいにわからない。
 わからないことだらけだけど、嫌がらせや当てつけで断髪するようなやつじゃないことぐらいわかっている。
 俺は前に言った。君島智幸は映像の中心で、核で、メインヒロインで。そんな智幸を通じて神に試されているようだった。
 ――三浦九はカメラフレームに〝彼女〟をおさめられるのかと。
 俺がちゃんと智幸を撮れるなら、たとえ智幸がどんな格好でも、どれだけ変わろうとも、胸の奥の扉を開いた先にあるものはなにひとつ変わらない。だれも見ることのできない世界から彼女をすくいあげて、撮って、映像にする過程。心の結晶化。
 真季も海も当惑している。まだ、現実を受け入れられていないみたいに呆然とした顔つき。いや、二人だけじゃなく、どれほどの人間が彼女を見てきたというのだろうか。
 俺が。
 俺がやるんだ。
 彼女のために。
 三浦九の真価が問われていた。
「――やってやるよ」
 決意を、胸に刻む。
「え、九ちゃん……? やるってなにを? ちょっ、九ちゃん!? ちょっとどういうこと……。なにこれ。なんなのこれ……。トモちん髪切って、九ちゃんわめいちゃって……。まさか……こないだ九ちゃんが質問してきたことって……九ちゃんっ、ねえ九ちゃん! ちゃんと説明してよ!」
 真季を押しのける。
 周りの雑音をすべて消す。
 余分な思考も一切カット。
 視界に入るのは智幸だけ。
 俺が撮るんだ。俺が撮るんだ。俺が撮るんだ。俺が撮るんだ。俺が撮るんだ。俺が撮るんだ。俺が撮るんだ。俺が撮るんだ。俺が撮るんだ。俺が撮るんだ。
 もはやそれは呪に近かった。逃げないように体を縛りつけ、みずからに呪をかけるように呟く。
 胸に渦巻くのは嵐のような衝動。使命感に似た感情に全身を突き動かされ、カメラの電源を入れる。深く暗い夜の闇を背負った智幸とレンズ越しに向い合う。
「撮影をはじめるぞ。真季、海、二人とも機材を持て」
「ちょっと待ってよ九ちゃん! さっきまで撮りたくないって言ってたのになんで急に……」
「真季はレフ板だ。準備してくれ」
「準備って……ダメだよ」
 怯えるように真季が一歩後ずさった。
「だって、変だもん。こんなの撮影する雰囲気じゃない。だって、だってさ……いまのトモちん見てると……撮影なんてできないよ。撮影したくない。だっていまのトモちんは」
「聞こえねえのか真季! 黙って俺の言うこと聞けッ!」
 咆哮に夜の大気が震える。俺の怒鳴り声に、真季は怖がって肩が震えていた。いつも笑っている彼女はそこにいない。縮こまりながらも、それでもぶんぶんと首を横に振る。
「……嫌だ、嫌だよ。だって、こんな撮影おかしいっ」
「おかしくねえ! 被写体がいて、撮影班がいて、これまでとなにも変わらねえだろうがッ!」
「九」
 落ち着けと言わんばかりに俺と真季の間に割って入ったが、もはや関係なかった。
「海、お前は照明だ。君島に照明を当てろ」
「冷静になりなよ。なにを焦っているの」
「焦ってねえ! お前らにだって協力してもらいたいだけだ!」
「トモちんっ、トモちんはこれでいいの? 本当にいいの!? トモちんだって本当はおかしいと思ってるでしょ。ねえそうでしょ!」
「私がいないと映像は完成しないよ」
「そうじゃないってば! あたしが言いたいのは、言いたいことはっ、綺麗な髪バッサリ切り落としてまでやることじゃ……!」
「どけ真季ッ! レフ板持たないなら邪魔だ! 俺の指示が聞けねえならどいてろ! カメラだけあればいい!」
「九! いったん休憩しよう。休憩できないなら今日の撮影は中止だ」
「ふざけんなッ! 中止になんてさせるかよ! ほかのだれでもねえ! 君島のちゃんとした部分を撮ってやりてえんだ! 俺がやってやりてえんだッ!」
 怒号、焦燥、痛烈、恫喝、使命。夜の下であらゆる感情を帯びた言葉が飛び交って混沌みたいに渦を巻いている。あらゆるベクトルは重ならず、闇の虚空のなかで乱反射して、衝突が次の衝突を加速度的に生み出していく。
「今日はもう終わりだ。機材、片付けるよ」海が三脚とカメラを持って撤収しようとして、俺はカメラだけ強引に奪う。「九!」海が声だけで静止するがもはや耳に入らなかった。
 カメラの支えなんて必要ない。俺が支えになればいいだけだ。
 照明もレフ板もなければないでいい。最低限必要なのはカメラ。智幸の心を映し出すものさえ手にしているならそれで十分。
 ずっしりと重みのあるカメラを肩に乗せる。カメラグリップをしっかりと握ってレンズをゆっくり智幸へ向ける。アングルは被写体の目線。フレームに智幸の全身が映り、ズームを調整して智幸をアップで映していく。
 やるぞ三浦九。俺がやるんだ。俺が〝彼女〟を映すんだ。
 彼女のために。智幸、智幸、智幸――
 集中。鋭利な刃物を砥ぐように極限まで神経を研ぎ澄ます。
 骨を、血を、精神力すらもひっくるめてショットに全霊をこめる。
 ハッ、ハッ、と呼吸がうるさかった。
 だれの息かと思えば、自分の息だった。
 ドクンドクンと心音までも聞こえてきた。体を通して脈動がカメラマイクに伝わりそうだった。
 ズームで智幸との距離が埋まれば埋まるほどひどくなる動悸。浮き彫りになっていく智幸の姿。
 レンズに映ったのは短髪。
 レンズに映っていないのは切り落とされてしまった亜麻色の髪。
 ――カラダだけが男の子なんだ。
 こんなときにリフレインする冷たい現実。心臓がねじ切れそうになるほど締め付けられる。
 頭を振って雑念を振り払う。
 しかし振り切れない。
 フレームは君島智幸の肉体的な部分しか映していない。
 ショットを変えてもアングルを変えても無意味。目も、鼻も、口も、耳も、指も、爪も、肌も、映し出せるのは目に見える智幸のカラダだけ。
 モニターに映った映像は真っ白な布地に墨汁を垂らしてできたシミのような違和感があった。やがてぼたぼたと大量の墨汁が白地に落ちていって違和感は強大なものになっていく。
 ――好きだっていうなら、どこに惚れたんだ?
 声が聞こえた。智幸の声じゃない。真季や海のものでもない。声の出どころは俺自身の胸の内からだった。
 溢れ出てくる自問をすべてねじり潰す。
 だが、潰しても潰しても洪水のように迷いがなだれこんできて俺の意志の支柱を押し流そうとする。
 ――心なんて撮れないと、本当はどこかでわかってんじゃないのか?
 むしばまれるような声が胸中から響いてくる。
 ――それでも、被写体の心を映すとしたら、それは被写体の言動だろうよ。新入生のために桜の鉛筆を作ってやった職人の顔、言葉、格好、仕草、そういう部分に滲むんだ。そういう部分をちゃんと〝見てきた〟人間だけが心を撮れるんだ。
 不安定な精神は肉体に影響を及ぼす。手が痙攣を起こしたみたいに震えた。カメラの重さをうまく支えられなくてブレる。次にひざにきて、足が木の棒みたいにぐらついた。
 ――オマエはカメラを向けているだけで、目は閉じてんだよ。
 うまく息ができない。
 モニターが夜の闇に塗り潰されていく。
 どんどん夜の黒がフレームに浸食していって智幸をさらってしまいそうだった。
 撮れねえ……っ。
 なんでだッ。どうしてだよッ。見えない。彼女が見えなくなっていく。そのうち見える世界すら視野狭窄を起こしたみたいに閉じていく。
 胸の奥を開いた先にいる彼女がフレームアウトする。
 天使みたいな羽を広げて可憐に踊る彼女の姿が幻となって霧散していく。
 閉ざされた扉。必死にこじ開けようとするがびくともせず、殴りつけて強引に壊そうとしても自分の手が血で真っ赤に染まっていく。
 ――彼女を撮れない……!
 そう思わされた瞬間、尖った氷柱に全身を貫かれたような激痛が走った。心の血がどばどばと流れ、足元に血溜まりが広がっていた。
 ひざの力が抜けていまにも崩れ落ちそうだった。歯を食いしばって踏ん張る。諦めちゃダメだ。諦めたくない。諦めてはいけないと血反吐を吐きながら踏ん張った。
 なのに。
「もう、いいよ」
 落ち着いた声で、智幸がそっと手を伸ばしてカメラを下ろさせた。あまりにそれが自然で、優しかった。
 ぽつりと、夜の天井から雨が降ってくる音が聞こえた。一歩、智幸が近づくと俺の頭上に降る雨脚は強くなった。
「撮ってくれようとして、ありがとう」
 感謝が痛かった。
「撮らせて、ごめんね」
 謝罪はもっと痛かった。
「このままでいいから、私の話を聞いてほしいな」
 雨に打たれる俺と智幸。不甲斐なくうな垂れる俺に智幸は支えるように言葉を置いた。
「展望台で別れたあとね、考えたんだ。自分の未来のこととか、君の気持ちのこととか、私なりにすっごく考えたんだ。ホント、いっぱい」
「君島……」
 間近で見る智幸の目は充血していて、目の下にはうっすらと黒い影ができていてた。
「前に大学の屋上で話したとき、君は羨ましげに言ったよね。普通がいいって。わかるよ。その気持ち、すっごくわかる。私も普通だったらみじめさとかなくなって、居場所に悩むこともなくていいなぁって考えたことあるから」
 ――みじめ、なんだ。
 屋上で智幸が俺に言ったセリフを思い出す。あれは俺だけじゃなくて、もしかして智幸が自分自身にも言っていたのか。
「目を瞑って、展望台で君にごめんねって言わなかった未来も想像したんだ。でもね、目を開けたとき、やっぱり見えちゃったんだ。だれもが普通にやれることとか、私といなかったことによって得られる、もっと、もっと別の巡り合わせとか、ほかにも、いろいろなこと含めて、私といることで君は……」
 そこで一度言葉を区切って、智幸は雨粒で顔を濡らしながらも薄い笑みを浮かべた。
「普通になりたくて、なれる機会があるとしたら、ちゃんと手に入れてほしい。そっちのほうが私も嬉しいよ」
「そんなの……そんなのっ、どうするかどうしないかは俺が決めることで――」
「お互い、自分の道を。それが一番だよ。君にとっても、私にとっても。それが私の精一杯考えた結果。だから、ここでもう」
 さーっと吹く夜風ともに、するりと俺の脇を智幸が通り抜けた。
 すれ違う。彼女が俺の視界から消える。
 闇に手を引かれるように遠ざかる足音。夜に飲まれる彼女の気配。
 離れていく。
 どんどん離れていく。
 このままじゃ、彼女はもう手の届かない場所に行ってしまいそうだった。
 ズキリと胸を抉られるような激痛が走る。一歩、智幸が離れていくたびに四肢がもがれていきそうだった。
 本能がこれまで考えてきたあらゆることを放棄して、告げた。
 離したくない。
 いままここで離しちゃいけない。
「智幸!」
 はじめて、声に出して彼女を呼ぶ。
 智幸と開いた距離を、空白を、ガッと地面を蹴り上げて追いかける。
 彼女に手を伸ばそうとした。
 だが。
「私が嫌なんだ」
 背中を向けたまま、智幸はガラスの壁みたいな言葉を俺との間に差し込んだ。
「君といると、私が嫌なんだ」
 心のど真ん中に風穴をあけられた。
「もう、私を見なくていいよ」
 それが、とどめだった。
 精神の柱が折れた音がした。
「トモちん!」
 真季が智幸を止めようと手を掴んだ。が、なぜだか真季が、俺が咆えても自分の我を通した真季が、フリーズして結局智幸を手放してしまう。
 俺はその場から一歩も動くことができなかった。
 気づけば、俺の頭上には雨が降っていなかった。
 まるで、智幸が引連れていったようだった。

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