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最終話 ラストカット

青春アメとミエナイ彼女



 エピローグ

 また、錯覚だと思った。幻聴の次は幻覚かと。
 もしくは、夢を見ているのか。
 高松空港ターミナルをとぼとぼと歩いていた私は思わず足を止めた。
 多くの人間が交錯する空間で〝それ〟は紛れることなく目立った。
 行き交う人々も〝それ〟を見て不思議そうに首を傾げていた。
 掲げられた文章の意味を理解できるのは、世界中でただひとり。
 私だけに伝わる光景がそこにあった。

   〇君島智幸さま 社会学部二部メディア学科はこちらです

 人波から頭ひとつ分飛び抜けた長身。薄いカーキ色に白のストライプが入った作業着。右手に高らかと掲げられた画用紙はプラカードに見立てられて、マジックでデカデカと私に向けた案内が書かれていた。
「見つけた」
 確かに、聞こえた。
 ターミナルの賑やかな空間のなかで、その声だけがやけにはっきり、耳から全身に波紋のように広がった。
 あまりに信じられなくて歯がかちかち鳴った。
 のどが焼けるように熱かった。
 心が震えた。
「これじゃあマジで格安旅行のツアーコンダクターだよな」
 彼はおかしそうに微笑んだ。作業服姿で案内を掲げていても恥ずかしそうな素振りはなく、堂々と立っていた。上でも下でもなく、いまはただ前を向いていた。
 一歩、一歩とおぼつかない足取りで近づいて、彼の顔を間近で見てびっくりした。試合後のボクサーみたいに左頬が膨れ上がって青いあざができていた。手当したあとが余計に痛々しかった。けれど彼は別段気にしてないように不格好な顔で笑っていた。
 仕事の服装で、高松空港で待っていて、顔が殴れたみたいに腫れていて……なに、これ。なんなの。もうなにから切り込んでいいのかわからない。
「なん、で……」
 戸惑って、わけわかんなくて、でも想いだけはどんどん溢れてきて、のどが震えて声がうまく出だせない。
「なんでって? ああ、このプラカードのこと? いやさ、智幸携帯つながらねえから、空港で見つけるんだったらこれが手っ取り早いかなーって。ははっ、おかしいよな。メディア学科のくせして思いつたやり方がこれってのは。でも、最初のときも見つけられたし、今回も見つけられるかなって思ったんだ」
「ち、違う……。私が言いたいのは、そうじゃなくて、その怪我は……」
「これは、えっと……、まあなんつーか、アクシデントみたいなもんだ。大したことねえよ。智幸のお母さんに手当してもらったしな」
 ごまかすように苦笑した。
 わからない。なにが起きているかわからないことだらけでパニックを起こしそうだ。
「どうして香川に……、高松空港に、君がいるの……」
 動悸がひどい。彼を見れば見るほど胸が締め付けられて、息が苦しくなって、声がしゃがれてしまう。
「香川にはきのうの時点で着いてたんだけどな」
 着いていた? きのう? ますます意味が分からない。
 だって、きのうは高松行きの便はどれも欠航していたはずだ。私はそれでホテルに一泊して足止めをくらっていたのに……。
「きのうさ、智幸のアパートに行ったんだけどお前いなかったから、実家に行けば会えるだろうと思ってすぐ新幹線に乗ったんだ。香川なら飛行機で移動したほうが早いんだろうけど、海から動いてないって教えてもらってな。それで新幹線で岡山駅まで行ったんだけど、乗り換えの電車が悪天候で止まっちまってて運転再開まで立ち往生。さすがに参ったよ。でもしばらくしたら動き出して、香川入ってからタクシーで智幸の実家、旅館まで行ったわけ。すげえ旅館だったな。立派でびっくりした」
 びっくりしたのは私のほうだ。なんて無鉄砲な行動をするんだ。
 放心しながら私は聞いた。
「どうして、旅館の場所を知ってるの……?」
「あー、えっと」彼はばつが悪そうに頭を掻いた。「教務課って学生の個人情報にアクセスできるから、まあ、知り合いにちょっとな」
 青山くんのことだ。
「で、智幸のお母さんに会ってさ、話聞いたら空港で足止めくらってまだ帰って来てないよって聞いたんだ。つまり俺の勇み足。笑っちまった。智幸のお母さんが今日はもう遅いから泊まっていきなさいって面倒見てくれて、最初は漫喫で過ごす予定だけど、せっかくだから厚意に甘えた。そこで智幸の親父さんも現れて……いい機会だと思って、俺のことをちゃんと説明して、智幸には、娘さんには大学戻ってきてほしいって伝えた。まあ結果は……どれくらい気持ちが届いたかはちょっとわかんなかったけど、効果はゼロじゃねえと思う」
 彼は口を横に広げて苦笑をぶらさげる。腫れた頬がひくついて痛々しい。
 厳格で、堅物で、私の事情もちゃんと見ようとしないお父さん。そんなお父さんの前で彼は言ったというの。私のことを〝娘〟だと。
「その顔、ひょっとしてお父さんに……」
「あー、えっと、これは、そういうわけじゃ……」彼は目をそらした。私に心配させまいとごまかしているのが見え見えだった。
「ごまかさないでっ」
 私はいたたまれなくて声を荒げた。
「君は、お父さん説得して反感を買ったんでしょ。それで、その傷を……」
 一度、彼は後頭部をさすって黙った。私の悲痛な眼差しから逃げられないと思ったのか、ちゃんと話してくれた。
「暴力沙汰とか、そんな大げさなもんじゃねえんだ。ホントだ。ただ、親父さんに智幸と向き合って、智幸の気持ちちゃんと聞いてほしいって、あんまり俺が口うるさかったからかな、まあ、怒っちまって、ぶたれただけ。いやー、星一徹よりキャラ濃かったぞお前の父親さん。でも旅館から追い出されなかったし、怒りながらも俺の話は最後まで聞いてくれたから悪い人じゃないのはわかったよ」
 彼の平然とした口ぶりに私は動揺していた。
 どうしてそこまで躍起になれるの。
 なんでそんな無茶をしているの。
 私に会いにこようとわざわざ東京から新幹線に乗って、悪天候のなか旅館までフツーやってくる? 大学とか、仕事とか、ほかの用事とか、そういうもの全部放りだして、お父さんまで説得しようとして痛い目に遭って、それでもくじけないで私を空港で待つなんて、そんなこと――
「……むちゃくちゃだ。君、むちゃくちゃだよっ!」
「え、むちゃくちゃって、お前がそれ言うのかよ?」
「言うよ! 東京から香川まで来ちゃうんだもん! いきなり私の前に現れるんだもん! そんなの、そんなのびっくりするよ!」
「ネパールにくらべれば近いぞ」
「そういうことじゃないよ! ここまで来るのだって、その、お金とかいっぱいかかるし、仕事とかほかに大事な用事だってあったはずだ!」
「なめるなよ智幸。契約社員でも有給はあるんだ。これを機に溜まりに溜まった有給使いまくることにした」
「なにそれ。ほかにも、まだほかにもっ……」
 言いたいことがたくさんあるのに、熱い感情がのどもとまでこみ上げてきて声が詰まってしまう。
 なんて不器用で、愚直で、勝手なんだ。勝手すぎるよ。他人が聞けば彼のやり方に呆れ果てるはずだ。私だって呆れている。
 だけど、だからこそ、彼らしかった。
 ぜんぶ、ぜんぶ、投げ捨ててきたのに、それでも彼だけは残っていた。夢でも幻でもない。正真正銘、私の目の前に彼がいる。
 過去しか残っていない香川に、いまと未来を運んできてくれるように彼がいてくれる。
「どうして、そこまでするの……」
「そりゃ、一秒でも早く智幸の顔を見てやろうと思ったからだ」
 鼻の奥がじんとして、目頭が熱くなった。
「智幸だってむちゃくちゃだろ。いきなり大学辞めて、勝手にいなくなって……こっちだって智幸にいろいろ言いたいことはあるけど、まあいいや。いまそれは後回しだ」
 彼は画用紙を脇に抱えてポケットから携帯電話を取り出す。そして、携帯のカメラレンズをこちらに向けた。
「ラストカットだ、智幸」


   last cut. 君島智幸


 心は凪みたいに穏やかだった。目に映るすべては澄み切った空気のように明瞭で、ノイズはなにも聞こえない。
 カメラ、というか携帯をしっかり握る。ムービーを起動してフレームに智幸の表情をおさめる。
 ふと、雨音が聞こえた。
 彼女に降りしきる雨。びしょ濡れの彼女に近づいた俺も雨粒に濡れたけど、構わなかった。雨降りでも俺には彼女だけがぼわぼわと淡く光って見えて、ほかはなにも映らなくて、二人だけの世界にいた。
「映像なんてもう……。だって私、大学を……」
 智幸の顔は痩せこけていた。まぶたは腫れ、目は充血して真っ赤。そんな不格好な自分は不要だと言わんばかりに、智幸はレンズから逃げるように顔を下げた。
「智幸の映像がないと完成しないんだ」
「こんなところで急にそんなこと言われても……」
「じゃあ、夜に戻ればいい」
 家に帰ろう、みたいな調子で俺は言った。
「カメラだって携帯じゃなくてプロ仕様の高性能。二部に戻れば真季と海がいて撮影を手伝ってくれる。そっちのほうがいいよな。それに俺も、今度は俺もちゃんと撮るから。二部に戻ってきて撮影を再開する。決まりな、智幸」
「そんな……そんなこと、勝手に決めないでよ。もう、退学届出しちゃったんだから……」
「お前、知らないんだな。正式に退学が認められるのは指導教員と学部長にサインもらってからだから一週間はかかる。いまならまだ取り下げてもらえるって海が教えてくれたぞ。だから戻ってこいよ。ほら」
 カメラを下ろして、智幸に手を伸ばす。
 しかし掴もうとしない。息苦しそうに胸元のシャツをくしゃりと掴む。なにか怯えているようだった。
 降りしきる雨が智幸の頬をつたってぽたぽた落ちていった。
「私、私……諦めたんだ。私と一緒にいたら、君の想いとか、望むこととか、応えてあげられない。普通にできることが難しいんだって。君だって周りに変な目で見られて、結果として傷つくかもしれない。ひとりでぐるぐる考えたらすっごく不安になってきて……もう、ここにいないほうがいいんだって思った。だから諦めた。髪も切った。ちゃんと君を諦めた……。なのに、それなのにっ、どうして香川まできちゃったの!」
 悲壮に訴える智幸。
「短い髪を見てわかったでしょ! 私のいまが! カラダが! どうして私なんか追いかけちゃったの!?」
 糾弾され、問いを突きつけられ、俺は――
「ちゃんと、見ようって思ったから」
 あるがままの気持ちを伝えた。
「俺、智幸のこと、智幸のそばでちゃんと見たいんだ。智幸が髪を切っても、どう変わったとしても、真正面で見る。見えるものだって、見えないものだって、全部見ていきたい」
 胸の内から出た感情を口にしていく。
「だから俺がお前を見るのを手伝ってほしいんだ。俺も、智幸のためにできること手伝うから。智幸が望むこととか、してほしいこととか、ひとりじゃキツそうなことも協力する。だから、だからさ」
 屋上でも、展望台でも、ちゃんと言えなかった続きを。
 カットの続きを。
「こんなところでだけど、俺と付き合ってくれないか?」
 俺は智幸に手を伸ばしたまま、告げた。
「わかってない。君、わかってないからそんなカッコいいこと言えるだけだ……。私の、私を見てないから」
「じゃあ、これから見せてくれよ」
 智幸の目の淵にたまっていた透明な滴がこぼれた。押さえつけていたものが、堰が壊れたように一気に溢れ返って落涙した。
「……私、髪切っちゃってるんだよ。こんな私なんだよ?」
「わかってる」
「……君のお母さん、びっくりしちゃうよ。私なんか、紹介したら」
「うちの母親が気にするのは更年期障害と預金残高だけだ。だから心配すんな」
「遊ぶのだって……これから夏になって、たとえば海に遊びにいくことになっても、私はほかの女の子とは違うよ。君と一緒に行ってみたいって思うよ。思うけど、ほかの人がいる前じゃ……」
「だったらだれもいない貸し切りできるビーチに行こうぜ。山さん旅行代理店で働いてるからそこらへん詳しいだろ。ああ、金の心配はいらない。使いどころをなくしたやつがあるんだ」
「アパート、解約しちゃったよ……」
「教務課で学生向けマンション斡旋してるから、海にいい部屋空いてないか聞いてみようぜ」
「君はいいけど、二部のみんなはびっくりするよ。引いちゃうよ……」
「うちの学部に引くやつなんていねえよ。思い出せよ智幸、一緒に撮ってきた連中のこと。定時退社上等の企業戦士に、SNSの運営をやっている高性能ばあさん。野村の卒論のテーマなんてムダ毛だぞ、ムダ毛。普通いねえよそんなテーマ設定するやつ。田中の自主制作映画のタイトルなんて『俺が靴だと思っていたものは本当は鍋だった』ってどんなバカ映画だよ。ほかにもまだ胃もたれしそうなやつばかりいて、こんな濃いやつらがそれぐらいで引くかよ。だから、なにも問題ねえよ」
 安心しろと、彼女の不安をひとつひとつ潰していってくと、智幸は震えた手をゆっくり伸ばす。智幸の指先が、肌が、一度触れて、けど俺の手を掴むかまだ迷っていた。
「ダメだ……やっぱり私なんか、ダメだよ」
 半歩、智幸後ずさる。
「ダメじゃねえよ」
 俺は動じなかった。
「ダメなことなんてあるものか。俺なら、ダメじゃねえはずだ」
 自分の胸を、会社の制服を、ぽんと叩いた。
「いいの……本当にいいの?」
 智幸は肩を震わせ、嗚咽しながら聞いてくる。
「君のこと、好きになっちゃうよ。いっぱいいっぱい好きになっちゃうよ! でも私は、いまの私じゃっ、君が求めることや望むこと全部きちんと叶えてあげられるかわからないよ! それでも好きになっちゃうよ! すっごく恋するよ! スカートだってはいちゃうよ!」
 俺は頷いた。
「智幸。協力してほしいこと、なんかあるか?」
「……じゃあ、それじゃあ、一緒にお父さんを説得するための作戦会議、してほしい。そばにいてほしいんだ」
 そっと俺は智幸の手を掴んだ。彼女は抵抗せず、ぎゅっと握り返してくれた。
「行こうぜ」
「うん……うんっ! うっ、ううっ……うわあああああん!」
 空港のど真ん中で、智幸は人目も気にせず泣いた。子どもみたいにわんわん泣いた。しゃくりをあげながら途切れ途切れの言葉を続けていく。
「お父さん、お父さんね、う、ううっ……、すぐ怒って灰皿とか投げるけど、投げるコース決まってて、ひぐっ、私、避け方知ってるから、君に教えてあげる、あげるねっ」
「ははっ、なんだよそれ。泣きながら言うことそれかよ」
 涙でくしゃくしゃになった顔で、智幸は笑った。泣きながら笑う顔はアンバランスで、言ってることもなんかおかしくて、俺も笑った。笑ってるのに、智幸の表情見るとうっかりもらい泣きしてしまいそうで、これは雨のせいだとごまかそうと思ったが、無理だった。
 俺たちはひとつの傘の中にいた。
 雨はもう俺たちを濡らさない。
 二人で握った傘なら、これからどれだけ雨が降り続けても平気だと思えた。
 そして、季節がはじまる前のような予感があった。
 いつかアメは上がり、青く晴れた春の日のような世界を俺たちは見ることができると。

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28話 振り向いて彼がいたなら

青春アメとミエナイ彼女

   ■クロスカッティング 君島智幸

 羽田空港ターミナルから眺める空は灰色の雲に覆われていた。西から流れてくる低気圧のせいで関東の天気はこのまま下り坂らしい。
 ついてないな。本当だったらきのう実家に帰る予定だったのに、天候不順で飛行機が欠航してしまった。爆弾低気圧っていうんだっけ? とにかく香川は大荒れの天候のせいで、私は羽田空港そばのホテルに一泊した。
 不運は重なった。実家に送った荷物の中に携帯の充電器も入れてしまった。そのせいで携帯はすぐにバッテリーが切れていまではただの重りになっている。
 コンビニで充電器を買おうかどうか迷ったけど、ホテルの電話からお母さんに連絡を入れられたからとりあえず問題はなかった。向こうは天候のせいで旅館のキャンセルが相次いで電話対応に忙しそうだった。
 携帯が使えないのは不便だけど、まあ、うん……いまは携帯見れないほうがいいのかなと思う。画面を真っ暗にしてれば、後ろ髪を引かれることもない。
 今日の便はどうやら高松空港まで飛べるみたいだ。搭乗手続きはすでに終わって、あとはセキュリティーチェックして搭乗するだけ。
 ターミナルを歩いているとガラス窓にうっすらと自分の姿が映った。髪、自衛隊に入隊する女性みたいに短くなっちゃったな……。
 結局、香川に戻るのか……。あーあ、お父さんますます威張り散らしそう。ほら、オレの言うことが正しかっただろうって。
 帰って来るなら髪切れって言ったのもお父さんだった。正直、悩んだ。髪を切るのは屈辱的だった。食事を忘れるほど悩んで悩んで、結果、従った。
 お父さんだって断髪は本心じゃないんだろうけど、ケジメ的な意味合いで父親の威厳を保ちたいんだろうな。怒りを通り越すと呆れるってよく言うけど、ホントだった。
 ゼミのみんなには悪いことしたな。短髪になって驚かせて、撮影の雰囲気壊してしまった……。
 でも、申し訳ないと思いながら撮影に向かったのは……期待していたんだろうな、私。もしかしたら彼なら、こんな短髪の私でもって。
「……ごめん」
 ばか、だよね。いまさら謝ってもどうにかなるわけじゃないのに。どうしようもないばかだ、私は。
 三ツ矢サイダーを飲んで気分を紛らわす。空っぽの胃に水分だけが溜まる。食事がうまくのどを通らないけど、三ツ矢サイダーはなんとか入る。
「――と、うわっと」
 カロリー不足のせいか、握力が一瞬なくなってペットボトルを落としそうになる。危うくキャッチして事なきを得た。
「あ」
 そういえば、前にもこんなことがあった。
 あのときはまだたくさん残っていた三ツ矢サイダーこぼしちゃって、彼が落ちたペットボトルを拾ってくれた。
 あれ。
 あのとき、彼、なにか言ってくれたはずだ。なんだっけ。体調が崩れかけていたときだから記憶が曖昧だ。落とすなよ? 違う、いやそれも言ってくれたけど、もっとすとんと胸に落ちるような言葉。あれは、あれは――
 ――全部なくなったわけじゃない。残るやつもあるんだ。
「ああ」
 三浦九、九……。
 胸の中で彼の名前を呼ぶ。後ろ髪を引かれるように振り向いた。ターミナルを行き来する雑踏。こんな場所に彼がいるわけはないのに、それでもどこかにいるような錯覚を起こさせた。
 いつも私がひとりでいると彼は現れた。
 二部に転部した最初のゼミ。私はここでうまくやっていけるのか不安で大学の屋上でひとりひざを抱えながら小さくなっていると彼が姿を見せた。病気で寝込んでいるときだって荷物運んできて、映画を観終わってひとり彼を見送っていると戻ってきてくれた。
「……ダメ、だよ」
 自分に言い聞かせる。
 ジュースが売っている売店、人が列を作って並ぶ受付、新聞を読んでいる人が座っているシート。あちこち探ろうとする視線を、強引にまぶたを閉じてシャットアウトする。
 溢れてくる気持ちを深淵に押しやる。頑丈に鍵をかけて、もう振り向いてはダメだと私は搭乗口へと急いだ。

 ――君島。

 慌てて振り向いた。
 強固だったはずの決意は簡単に揺らいでしまった。
 声がしただろうほうを見て――けれど視界に彼が映らない。
 あれ、あれ……。
 彼は長身で目立つ。なのに、交差する人群れに彼を探ろと視線を向けても、いない。どこにもいない。
 中耳には私の名前を呼ぶ声が残っていて、あれ、それってつまり……。
「うわ、うわぁー……まいっちゃうな、もう」
 くしゃりと自分の髪を掴んでうつむく。ドン引きだよ。自分で自分に引いちゃうよ。幻聴だなんさ。
「私、どれだけ彼を……」
 眼球の裏がぐしゃぐしゃに熱くなった。視界が滲んで、うっかりすると余計なものがこぼれそうだったから上を向いた。
 やけに重く感じるカバンを抱える。セキュリティーチェックを終えて、もう搭乗するだけ。このゲートをくぐれば後戻りはできない。
「……さようなら」
 どんなときでも現れた彼は、最後はこなかった。
 胸の中が焼き焦げそうになりながら、私は飛行機へと搭乗した。
 そして東京を発った。

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27話 世界を構築するのに必要な人間の最小単位

青春アメとミエナイ彼女



「君島が退学……?」
 はじめは、聞き間違いだと思った。
 だけど海は眉を八の字に下げて冗談だという気配を見せない。
「きのう、君島さんが教務課に退学届を出しにきたんだ。僕がそれを、受け取った」
「受け取った……? 受け取ったって、なんで!?」
 動揺して喚いて、海の沈んだ両肩と背広姿を見てすぐに思い当たる。なんでもくそもない。それが仕事だからじゃないか。
 目眩がした。
「そんなに……。いきなり大学辞めるって、そんなことが……」
 海の言葉がまだ信じられなかった。
 いや、信じたくなかった。
 事態の急転にありえないと否定しようとしたが、いつの日か聞いた智幸の声が耳元に残っていた。
 ――時々、大学辞めて帰ろうかなって気持ちが揺らぐんだけどね。
「どうして……」俺の言葉は弱々しかった。「どうして、ここにきて君島が大学を辞めるなんて……」
「実家に戻るって言ってた」
「実家?」
 実家って、香川か。馬鹿な。だってあいつ、自分の生まれ育った場所から、家庭から出たいと言って上京してきたんだろ。
 どういうことだ。退学に踏み切ったのは親との関係に変化があったから? 親の身になにかあった? いや、それとも前に話していた経済的な事情? やはりバイト生活で疲弊したから? 夜の授業についていけなくなった? 最近授業を休みがちだったのは退学の準備をしていたため?
 数々の疑問が泡のように弾けていくなかで、海がそれを口にした。
「君島さんはこうも言っていた。ここにいないほうがいいと思った、って」
 ――俺の振る舞いが、智幸を追い込んでいた?
 そう考えると寒気がした。
 そうなのか。そうなのだろうか。
 わからない。わからないが、俺はなにかとんでもない間違いを犯したんじゃないのか。
 俺が原因であっても、そうでなかったとしても、智幸のことを想うならもっとあいつの立場に立って考えてやるべきだったんじゃないのか。
 どこを間違えた。なにがいけなかった。
 智幸の撮影に失敗してしまったことか。それとも展望台で事情を知ってなにも言えず帰してしまったことか。もしくは迫っておきながら智幸の真実を聞いて固まってしまったことか。
 池袋で見返り以上の時間を求めたこと? 映画館で終わらせとけばいいのに展望台まで誘ったから?
 家に押しかけなければよかったのか? あいつと二人だけの時間を過ごさなければこうはならなかった?
 大学の屋上で共振しなければ。銅像で待っている智幸を迎えに行かなければ。
 好きにならなければ。
「――――っ」
 心を殴打された鈍い痛みに苦悶した。
 大学を辞めて香川に戻るというのは、俺が転部して会う機会が減るというレベルの話ではない。もう会えないも同然だ。すれ違いさえ起こらず、互いの視界からいっさいがっさい消える。
 焦った。すぐさまポケットにしまった携帯を手にして――だが瞬間、強烈な疑問が突き刺さった。
 ――なんで焦るんだ?
 携帯を持つ手が凍りついた。
 会えなくなるからって思うのは、俺の自分本意な考え方じゃないか。
 智幸はなにも捨て鉢な態度で退学するわけではないはずだ。撮影の別れ際、自分の未来について考えたと明かしてくれた。あのワンルームで夜を過ごしながらひとり熟慮していたのだ。
 退学こそが、智幸が選んだ道。
 俺の視線の先には転部転科説明会会場がある。そこは晴れていて、うとうと眠ってしまいそうなほどひだまりが心地よくて、ドラマなんかでよく描かれる大学生像が広がっている。俺には俺の道をと、智幸が優しく背中を押してくれた世界。
 お互いに自分の道を。そう、智幸は望んだんじゃないか。
 四肢がもがれそうな痛みを抱えながらも、ポケットに携帯をしまった。俺は胸の奥で瞬く光を牢に閉ざす。
「……海、伝えたかったことはそれだけか?」
 素っ気ない反応に海は目を細めた。
「そう、だけど……」
「だったら俺はもう行くぞ」
 言って、心が急速に渇いていった。真冬みたいに冷たくなっていった。
「待ってよ九。君島さんいなくなるんだよ。辞めちゃうんだよ」
「……んなこと、いちいち言われなくたってわかってんだよ。俺はこんなところでぼやぼやしていられないんだ。用事があるから」
「そんな。用事って、君島さん退学するのに、それ以上に大事な用事って……」
 ふいに海が俺の視線の先にあった転部転科の張り紙を見て、目を大きく見開いた。俺の表情をうかがうように一瞥して、それから再び張り紙を凝視する。
「まさか、九……、これ……」
 察したように、海は困惑していた。こいつは鋭い。付き合いだって短くはない。きっとこの張り紙を見た瞬間、俺の行き先とか、心情とか、将来のこととか、多少なりともわかったはずだ。
「……じゃあな」
 いまこの瞬間、俺の将来に関係する場面で、海はこの説明会の価値だってわかっているはず。それなのに呼び止めていいのか、動揺しているはずだ。
 自分の未来だけをずっと真っ直ぐ見据えてきた海ならわかるはずだ。他人の未来を左右する上で、踏み越えていけないラインがあると。干渉してはいけない部分があると。
 海は自重するはずだ。呼び止めないはずだ。
 だから俺は、踵を返して説明会会場に体を向けた。
「――待ってよ」
 だが、海はそのライン踏み越えてきた。
「本当にそれで納得できるの?」
 それでもと、こいつはお節介を平然とかましてきやがる。
 迂闊だった。
 いまの海が見ているものはネパールだけではない。
 いまの海は、真季と付き合うまでの海とは違うじゃないか。
「九はこのままでいいの? 納得しちゃっていいの?」
「いいもなにも、君島の決断したことに口を出すべきじゃねえだろ」
「それで後悔しないって言える?」
「くどいぞ」
 口調がささくれ立つ。
「お節介がすぎるんだよお前は。ほっといてくれよ。納得する。納得するしかねえんだ。後悔しねえよ。いいんだよ。もう、俺たちはこれでいいんだ」
「いいって言うなら、どうしてそんな辛そうな顔をしているんだ」
「――――っ!」
 すべてを見抜かれそうで、咄嗟に俺は顔を隠すようにうつむいた。
「九、僕は君に感謝してるんだ。以前ネパールに来てくれたとき言ってくれたよね、『意外と近かったぞ』って。なんて無茶をやるんだと思ったよ。だけど、ありがたかった。大切なのは距離的な問題じゃなくて、距離なんてどうってことないと思える気持ちのほうだって教えてもらった。その気持ちに気づけなかったら、僕はいまも悩んで、大人になったらすごい後悔してたと思う。だから、九には後悔してほしくないんだ。たとえどういう結末でも、いまから時間が経って過去を振り返ったとき、後悔しない選択をしてよかったと、そう思ってほしい」
「…………」
 説明会開始までもう時間がなかった。このまま立ち往生していたら余計な感情に縛りつけられて足が動くなりそうだった。
「もう、仕方ねえことなんだよ」
 床から靴底をひっぺがす。
 光りに導かれるように会場を正視する。
 過去を振り切るように足を前に出す。
 だが、一歩は踏み出せなかった。ぐいっと、後ろに引っ張られる力を感じたからだ。
「待って九ちゃん!」
 何事かと思って振り返れば、真季がいた。驚いた。さっきまでいなかったはずなのに、彼女の童顔がすぐそこにある。全力で走ってきたのか肩で呼吸している。額に大粒の汗を浮かばせながらも俺の手首をがっちり掴んでいた。
「なんで、真季が大学に……?」
「おべ、ん、とう……っ!」
「は? 弁当?」
 真季はぜえぜえと乱れた呼吸を落ち着かせ、証明するように右手にはランチボックスが入った手提げを掲げた。
「あたしが時間あるとき、バイト中の海ちゃんにお弁当届けてあげるんだ。それで休み時間に一緒に食べる。今日なんてそぼろでハートマークとか作っちゃったよ! どんだけ気合い入れてんの、いまどきハートってねえよっ、って作りながらセルフツッコミかまして笑ったもん!」
「……お前、なに言って……」
 あまりの突拍子のなさに俺は呆けた顔をしていたと思う。それでもお構いなしと真季は汗で額に張りついた前髪を剥がして続けた。
「あと海ちゃん大学生のくせにまだタコさんウインナー好きと言うから、たくさんタコさん作ってあげた。あとあと、海ちゃんあたしが作るとなんでもおいしいって言ってくれるけど、卵焼き甘めにするとすんげー顔ニマニマすんの。だから今日も甘め。甘々だ。どーだ、すんごい愛情の詰まったお弁当だ! どこにも売ってないぞ! 世界でひとつだけのもんだ! すんげーだろ! 一緒に食べるんだ! ラブリーだ! ラブラブだ! バッカみたいだ! でも幸せだ! とびっきり幸せないまを謳歌してる!」
「なにが言いたいんだよお前!」
「諦めなくてよかったよ!」
 小さな体を震わせて、ありったけの声量をぶつけてくる。心のど真ん中に飛び込んでくるような強い言葉だった。
「諦めなかったからいまがあるんだ。九ちゃんが一緒にネパールついてきてくれたから、いまがあるんだ」
 ぎゅっと、真季の手首を掴む力が強くなる。石みたいに白くなった俺に、自分のあたたかな温度を分け与えるように。
「あのね、あの撮影の日に見たこと、あたし黙ってた。それを口にしていいのか、しちゃいけないのか、わからなかったから。なにがトモちんにとっていいことなのか、わからなかったから」
 撮影の日に見たこと? なんだよそれ?
「けど、きのう海ちゃんから電話かかってきて、トモちんが退学するって聞いて、やっぱ言わないのはまずいなって、九ちゃんは知っておいたほうがいいと思った」
 真季の意味深な言い回しに、自分の足元がぐらぐらと揺れている感覚があった。嫌な予感がした。試験終了前にうっかりマークシートのズレに気づくようなぞわぞわとした不安感。ズレなんかないと精神を正常に保とうとするバイアスと、俺はなにか重大なことを見落としていたんじゃないかというおぞましさ。相反する二つの思いに引っ張られながらも、俺は恐る恐る聞いた。
「言うって、なにを……?」
「泣いてたよ」
 真季は涙目だった。
 俺は目を剥いた。棒立ちだった。
「撮影が失敗してトモちん帰ろうとしたでしょ。すごく嫌な予感してさ、トモちん止めようと掴まえたとき、一瞬、本当にちらっとだけど横顔見えて、泣いてて、あたしびっくりして、つい手放しちゃった……」
 耳を、疑いそうになった。
 智幸の泣き顔なんてうまく想像できない。記憶の引き出しからあいつのいろんなカットを持ってくるが、あいつが俺の前で涙を流したカットなんて持ち合わせていなかった。
 だってあいつ、最後に見せたのは微笑で、水を汚さず立つ鳥のような潔さで去っていったじゃないか。あいつはもう俺と視線を重ねることなく、ひとり別の方向を――
 違う。
 バチッと頭の中で燃焼して回路がつながった。
 ――後腐れがなく、俺の背中を押すためなのか。
「泣いてるトモちん見て、あたしわかった。わかったんだ。諦めたんだって。髪切っちゃったのだって、きっと諦めた結果なんだ」
「諦めた?」
 真季は潤んだ瞳をごしごしと乱暴に拭って、俺を見据えた。貫くようなまっすぐな眼差しは、まるで瞳で答えているようだった。
 ひどく動揺した。
 信じられなかった。
 素直に受け止めるなんてできなかった。
 ないだろ、それは、ありえないだろ……。
「適当なこと言うなよ、言わないでくれよ……。なんだよ諦めるって。そんな、そんなことって……。ねえよ。あるわけない。みっともなくて、不器用で、愚直で、こんな、こんなどうしようもないのに……」
「卑屈になるな!」
 真季が涙目で怒鳴った。横っ面を引っぱたくようなインパクトに体の芯が揺さぶられた。
「どうして……」
 手が小刻みに震える。
「どうしてだよ。真季になんでそんなこと、わかるんだよ……」
「だって、女の子同士だもん」
 真季は、真季の視点で俺には見えない智幸の領域を見ていた。きっとそれは海だって同じで、海の視点で智幸を見たからこそこうして俺に伝えてきてくれた。だとしたら俺が、俺だけが見える智幸の領域があるはずだ。
 見えている世界と見えない世界の境界線上に立つあいつ。
 俺が、俺だけ見える世界。
 俺がカメラに映すのは――
「智幸」
 もういない彼女の名を口にする。
 胸が焼けるように熱かった。
 いつしか手の震えはおさまっていた。
 足元がしっかり地に着いている感覚があった。
 視界の明瞭度が上がって世界が澄みきって見えた。
 そのとき、転部転科説明会の張り紙が視界の端に入ってきた。
 朝起きて、太陽の光が溢れた教室で授業受けて、友達と笑いながら飯食って、夜は寝そべりながらみんな見てるバラエティ番組とかリアルタイムで見れて、明日になったら番組の話で盛り上がって、だれもが享受できるどこにでもありがちな、けれど暖かな光があった。五年浴びられなかった光。このまま社会に出たらきっと味わうのは難しい。社会から与えられた猶予期間は平等で、それを消費してしまえばもうきっと戻れない。羨んで、羨んで、妬んで、手に入れられなかったもの。
 説明会会場に続く世界は晴れているように見えた。
 そんな世界を、俺は振り切った。
 気づけば反転して走っていた。
 迷いは、時間にしたら一瞬。
 説明会会場とは正反対の校舎の出入口へ、胸を打つような激動にまかせて疾走していた。
 すでに背後にいる真季が「いいぞぉ――っ! 九ちゃ――――んっ!」なんてキャンパス中に響き渡るほどバカでかい声をぶつけてきた。
 いい?
 いいわけがねえ。
 遅れちまった。ラストカットに失敗して幕は下りたとひとり気落ちして、あいつが退学届出すまで大事なことに気づけなかった。
 いまさら手を伸ばしても間に合わないかもしれない。
 だけど許されるなら。
 すべてが手遅れになる前にもう一度だけ――
 晴れの世界を背後にしていく。俺が向かうべき場所は降りやまない雨、その中心。彼女がいるアパートへと一直線に駆ける。
 走りながら携帯を手にして智幸に電話をかける。だがつながらない。機械的な音声が電波の届かない場所か電源が切れているためと酷薄に告げている。
「くそっ! 携帯持ってたってすれ違うじゃねえか!」
 体内のギアを一段上げて加速する。少しでも早く会って声を届けようと身を粉にする。
 競走馬が地面を踏みしめる勢いで校舎から飛び出す。屋外に出ると雨が降る前の生ぬるい気配を肌が感じた。心がざわついた。これ以上先に進めば晴れの世界には戻れない。いずれスコールのように豪雨が降りはじめるだろう。
 いまさらだった。
 勾配を駆け下り、校門を抜けて通りに出る。
「タクシー、タクシーは……っ!?」
 教授などが利用して時々通るのを見かけるが、タイミング悪くいまは見つからない。一秒でも早く向かうなら車がいいが、このまま待ちぼうけをくらう可能性がある。智幸の家は大学からそう離れていない。なら――
 だん、と地面を強く蹴り上げた。
 あらゆるものを取っ払って。陽光射す日常とか、だれもが享受している普通とか、そういったもの全部投げ捨てて。
 がむしゃらに、ひたすらに。
 顔を向けるのは上でも下でもない、前だ。ただ前だけを。
 体が軽い。足に翼がはえたみたいだ。
 智幸、一秒でも早く智幸のもとへ。
 両足で風を切る力は、肉体を前進させる衝動は、あいつへの同類意識でも、依存でも、ましてや罪悪感なんてものじゃない。
 それは圧倒されるような感覚。
 強い一念でコンクリの歩道を疾駆していく。
 大幅なストライド。余力を残す必要はないトップスピード。両腕を振って六月の風を切っていきながら思い出したのは哀しげに微笑む智幸だった。
 香川。実家。あいつの育った世界。どれほど智幸の理解者がいるかわからないけど、そこには父親がいる。病気になってもそれは本人の精神が軟弱だと言い張る時代錯誤のような人物。理解されず、変わることが許さないような象徴として存在。そんな言い回しだった。
 ガレキで覆われたような窮屈な世界。智幸はどれほどの苦痛があったのか。どれほどみんなとのズレに胸を痛めたのか。
 俺は昼間から作業服着て、大学生なのに勉強するより仕事してる時間のほうが長くて、まるで社会人のかぶりもの着ている違和感があった。時々思わされた。「どうしていつも自分ばっかりこうなんだって」って。でもそれを口にしたら本当に負け犬みたいになりそうで軽々しく言いたくなかった。
 でも、智幸と出会って薄々感づいていた。
 ――普通じゃないと思ってんのは、俺ひとりだけじゃない。
 智幸も人とは違うものを抱えていた。同じなんだと共振した。
 いや、ひょっとしたらそれは智幸だけじゃないかもしれない。真季も、海も、二部の連中も、一部の連中も、歩道を歩いている見知らぬ他人だって、だれもが程度の違いこそあれどなにかしら抱えながら生きてるのだろう。
 でも、それでも、やっぱり普通からつまはじきにされたと感じる気持ちだって嘘ではなくて、智幸がいまもそう思っているなら、自分の気持ちをなにも伝えずこのまま香川へと帰したくなかった。
 泥にまみれて見えなくなった俺の気持ちを手で掻き分けるように探って、泥を払って、ようやく見つけた自分自身の在り方。
 ほかの連中が智幸をどう見ても、智幸の父親がどれほど否定してきたとしても、あらゆる常識や普通なるものも関係ない。
 世界を構成するのは二人いればいいと智幸は言った。智幸と、そして俺がそこにいれば世界が完成する。
 俺の視点さえあれば、智幸は智幸でいられる。あいつが本当にありたいと思う自分でいられるように、俺は俺のやれることをしてやりたい。
 だからこそ、ちゃんとあいつを見なくちゃいけないんだ。
 目に見える部分だって。
 目に見えない部分だって。
 これでもかってぐらい目を見開いて見る。全部、全部――
「はぁッ、はぁッ……!」
 息切れをおこす。呼吸が乱れる。太ももの筋肉が悲鳴を叫びはじめる。ひっきりなしの全力疾走は俺の両足を消耗させた。フォームが徐々に崩れ、もはや爽快な走りではなくなる。
 足がふらついてつまずきそうになる。
 足の裏の感覚がなくなってくる。
 つんのめってこけそうになりながらも手で地面を押し返し、速度をつける。
 重力に負けないように。
 世界に押し潰されないように。
 空っぽになりかけの体力。それでも全身の力を振り絞るように前に前にとつま先を出していく。
 額からこぼれる汗を袖で拭うと、やっと見えた。
「着い、た……っ!」
 二階建てのアパート。智幸の住んでいる部屋は、二〇一号室。
 ぜえぜえと肺に穴が空きそうな過呼吸。だが休む間もなく体力の残滓をかき集めて俺は階段を駆け上がり、二〇一号室のチャイムを押した。しかしなぜか鳴らない。ドアをドンドンと叩いた。だが反応がない。
 この先に智幸がいるはずなのにまだ届かない。分厚いドアが壁みたいに遮断している。
 さっきまで熱で発汗していたはずの汗は冷たいものに変わっていった。焦燥感にかられて無意識にドアノブを回していて――あいた。鍵がかかっていなかった。
 気が急いていた。コンマ数秒も待てなかった。だからぶしつけにもドアを開けて、なだれ込むように玄関へと足を踏み入れた。
「智幸!」
 部屋に残響するほどの声量で彼女の名前を呼んで、俺は視界に映った光景に愕然とした。
 空っぽだった。
 まったくと言っていいほどなにもない。可愛らしいキッチン道具も、映画がぎっしりと詰まったDVDラックも、彼女の匂いまでも全部が全部ごっそり消えている。
 なんだよ、これ……。どういうことだよ……。
 引っ越したあとのような空虚さだけが広がっていたが、部屋に人がひとりいた。背広姿の小太りな男性で、なにやらチェックしているように押し入れを開け閉めしていた。その仕草がどことなく不動産屋っぽく、俺の姿を見ると向こうも驚き固まっていた。
「えっと、あの……」
 困惑気味の声を出したのは俺だ。
 がらんどうの部屋に、見ず知らずの人間。最悪なケースが頭のなかを過ぎった。不安で胸がいっぱいになりながら恐る恐る口にした。
「すいません、あの、君島智幸、ここに住んでいた君島さんはどこに……?」
 小太りの男性はいきなり質問を受けて戸惑っていたが、俺の深刻そうな表情を見て答えてくれた。
「先日出て行かれましたけど……どちら様でしょうか? これから清掃員が来てクリーニングを行うところなんですが――」
 途端、目の前が真っ暗になった。背広の男性の言葉が途中から耳に入ってこなくなった。
 突きつけられた冷たい現実は、ただひとつ。
 ――間に合わなかった。

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26話 冷たいホットコーヒー

青春アメとミエナイ彼女

   ■クロスカッティング 青山海


 六号館校舎の一階にある教務課学生部。学生が往来するコンコース脇に設置されたそこは、まるで会社のオフィスみたいな場所で、僕は自分のデスクでパソコンと向き合っていた。
 教務課学生部の仕事は名前の通り学生に関することが主で、僕はいま夏の長期休み中に開かれる学生向け特講ポスターを作成していた。
「青山くん、作業中ごめんね」キーボードを打鍵していると先輩に呼ばれた。「新しく受付に来た学生の応対してくれるかな。ボク、いまこっちの子の話聞かなくちゃいけないから」
 窓口で学生の相談や事務的手続きなども学生部の仕事だ。僕は先輩にまかされた学生の応対をしようと窓口に立って、びっくりした。
 相手は君島さんだった。
「あ」
「あ」
 驚きがシンクロする。向こうも目を皿にしている。まさか僕が応対するとは想定していなかったのだろう。
 お互い顔を合わせるのは、こないだの撮影の日以来だ。あの、ひび割れしたような撮影以来……。
「やあ、君島さん」
 僕から声をかけた。気まずさをできる限り感じさせないように、にっこり微笑んだ。
「僕が教務課でバイトしてて驚いた? というか、知らなかったっけ?」
「……そういえば前に笹野さんが言っていたような気がする。すっかり忘れてたよ」
「カフェの手伝いはボランティアみたいなものだからさ、こうしてバイトしないとネパールへの渡航費用貯まらないんだよね。今年の夏休みもあっち行ってコーヒー豆栽培手伝おうと思ってるんだ。いやー、今年の豆はいいよ……って、いけないいけない。コーヒーの話になると僕ばっか話しちゃうね。君島さんの話を聞かないと。うちにどんな用かな?」
「えっと……」
 君島さんは目を伏せ、手に持っていた一枚の書類を隠すように背中へと回した。一瞬の出来事だったが、僕はその一瞬を見逃さなかった。
「ううん。やっぱりなんでもないんだ」
 なんでもない、ことはないはずだ。どんな書類かは知らないけど用事がないならわざわざ書類を窓口まで持ってくる必要はない。なのにこの場で急にごまかした原因は――僕か。
「そこまで大事なことじゃないから。また日を改めるよ」
「待って」窓口から立ち去ろうとする君島さんを呼び止めた。「今月、僕はほとんど教務課で仕事してるんだ」
 君島さんが足を止める。さらに追い打ちをかけた。
「僕がいない日でも学生の個人情報はデータ化されて職員たちで共有される。アルバイトの僕だって例外じゃない。僕がいるからって気が引けるなら意味のないことだよ。それにほら、また窓口に来るのも二度手間になって面倒だよね。それならその書類いま見せてもらったほうが効率的だと思うんだ」
 書類、と聞いて君島さんは隠したほうの腕をびくんと震わせた。沈黙して、どうしようか逡巡している。
 しばらく黙りこんでいた君島さんだけど、ずっと微笑んでいる僕を見て諦めたようにため息を吐いて書類を手渡ししてくれた。
 僕は君島さんの前で微笑を絶やすつもりはなかった。けれど、その文字列を目にした瞬間、ふっと風に吹き消されたように表情が消えた。
「退学届……」
 ショックだった。頭がかち割られそうになるぐらい。
「退学ってこんなペラペラな紙切れ一枚でできちゃうんだね。ちょっとびっくり」
 面食らった僕とは対照的に、君島さんの口元は半笑いを浮かべていた。
「名前、学籍番号、それに学科と住所、一言理由を書いて判子押したら終わり。すっごいあっさりだ。入学するときは受験勉強とか膨大な時間かけたのに、出ていくときは五分もかからないうちに書き終わっちゃった」
 退学までの流れも味気ないものだ。退学届けを受け取って指導教員と学部長に判子を押してもらったらそれで完了。一週間ほどで正式に退学と認められる。普段の僕ならそこで事務的に学生証を提出してくださいと手続きに移るけど、いまはうまく体が動かなかった。
 ――それほどなのか。
 退学するほど君島さんは考えて、悩んで、思い詰めていたのか。
「本気なの?」
「本気だよ」
 愚問だった。冗談で退学届を出す学生なんているわけがない。
 これまで様々な事情で退学していく学生を見届けてきた。経済的な事情、他大学への編入、親の死別での帰郷など、なかには明るい理由で大学を去る学生もいたが、大半は聞いていて面白くない内容だった。
 君島さんの場合は――『実家に帰るため』。そう簡潔に書かれていた。
 どうして実家に帰るのか、大事な部分が伝わらない。
「聞いていいかな。君島さんが退学する理由」
「そこに書いてある通りだよ」
「教務課のスタッフは、もう少し踏み込んだ理由を聞くのも仕事のうちなんだ」
 嘘をついた。本来ならすぐに手続きへと移る。それは仕事として余計な詮索は不要だし、退学の理由なんてたいていは暗い影が差しているのでほじくり返すべきではない配慮だ。
 けど、仲間がいなくなるのに「はいそうですか」なんて簡単に頷けるか?
「退学の理由、聞かせてくれないかな」
「……私一人っ子でさ、家のこととか手伝ってほしいって、前からお父さんに帰ってこい帰ってこいって言われてたんだよ。もう、本当にバカ親でさ、参っちゃうよね。お母さんだって言葉にはしないけど私がそばにいるほうが安心できて、戻ってきてほしいと思っててさ」
「本当にそれだけの理由?」
「…………」
 君島さんは少しだけ目線を落とす。
 一呼吸置いて、答えてくれた。
「ここにいないほうがいいと思ったんだ」
 重々しい空気が僕たちのあいだに流れた。
 僕は、こんなときどんな言葉をかけるべきなのか必死に探っていると、君島さんが恐る恐る聞いてきた。
「私のこと、もう聞いた?」
 私のこと――それだけでなにが言いたいかわかった。
「……九に教えてもらった。ごめん。本当なら君島さんの口から聞くべきだったんだろうけど、撮影の日いろいろあったから、僕と真季が九に聞いて……知った」
「そっか。別に謝らなくていいよ。三浦くんが話すのは当然のことだと思うから」
「僕は無意識のうちに君が嫌がることをしていたかもしれない。真季も、気にしてた」
「だから別にいいって。笹野さんに申し訳なさそうにされるとこっちまで調子狂っちゃうよ。私のほうこそ最初に言うべきだったかもしれない。ただ、こういうこといちいち言うの、すごくエネルギーがいるっていうか、なんていうか、ね」
 君島さんが短くなった髪を指でいじりながら空笑いした。
 君島さんの事情を知っても、僕はまだ断髪したこの人の気持ちすべてを理解しているわけではなかった。
 切り落とされた髪の影響でやや偏って見えるけど、今日の君島さんの服装は爽やかな白のシャツにカーゴスキニーと中性的に見える。
 服は時に口以上に物を言うという言葉がある。
 短髪になった決意とは裏腹に、まだ、中性的な曖昧さがあって、どこかで揺らいでいる部分を残しているのではないだろうか。
 どうするべきか。
 いや、どうしようもないのだ。
 僕はいま教務課の職員で、君島さんの退学届を受け取って処理するしかない。本人の決断にどうこう言うのは職員の仕事ではない。これまでと同じようにお疲れ様でしたと声をかけて退学者の背中を見届けるしかないのだ。
「…………」
 ――なんて割り切れないよね、やっぱ。
「ちょっと待ってて、君島さん」
 きょとんとする君島さんを窓口で立たせたまま、僕は自分のデスクへと戻る。卓上に置かれた持参のコーヒーメーカー。その場で手動コーヒミルを取り出して焙煎して豆をゴリゴリ挽く。粉上にしたらコーヒーメーカに入れて電源を押す。シュゴーと音を立ててドリップされていく。
 ほかの職員に「なにやってるの?」と聞かれ、「どうしても、いまどうしても飲ましたい人がいて」と説明すると、「青山くんのコーヒー好きにはホントに呆れる」なんて苦笑されたけど怒られはしなかった。
 アルバイトをはじめたばかりの頃、コーヒーメーカーを丸ごと運んできたときは周りに驚かれた。わざわざ自前で淹れなくても、自販機の缶コーヒーを買えばいいじゃんと苦笑された。
 でも、僕が淹れたコーヒーをみんなに配ると「おいしい」と喜んでくれて、豆の種類や淹れ方など聞きにくる職員もいた。コーヒーの深みにはまっていって、少しずつ周りの反応が変わっていく様が嬉しかった。最初は変だと思われていたコーヒーメーカーも、気づけばないほうがおかしくなっていった。
 この場所に置いてあるのが、普通になった。
 ホット用の使い捨て紙コップに深い黒がそそがれる。湯気が立ちこめ、広がる香ばしい匂い。二つ分持っていって、ひとつは僕の、もうひとつを窓口の君島さんに差し出した。
「はい、どうぞ」
「えっと……」
 君島さんは困惑していた。まさか退学届出しにきてコーヒーが出てくるとは予想していなかったのだろう。
「君島さんにどうしてもネパールのみんなで作ったコーヒーを飲んでもらいたくて。せめて一度くらいは」
「でも、私苦いのは……」
「お願い。一口、とりあえず、一口でもいいから飲んでほしいんだ」
「……じゃあ、一口」
 しぶしぶ、といった感じだが小さな両手で受け取ってくれた。猫舌なのか、ふーふーと息をかけて冷めるのを待っている。
 僕は先に一口飲む。癖になるような苦味と熱が体中に巡る。慣れ親しんだ味はまるで故郷に戻ったような心地で自然と落ち着いた。
「君島さんってひとりで思い詰めるタイプ?」
「……どうしてそう思うのかな?」
「なんとなく、かな。僕が前はそうだったんだよ。だれに相談してもどうせわかりっこない。自分の問題を解決できるのは自分だけだ。そう、追い込むように思い詰めていた。真季と付き合う前までは」
 カップの中にぐるぐる渦巻くコーヒーを眺めていると、黒の水面に過去のいろんな思い出が映っていた。
「去年の話なんだけど……いや、正確に言うならノロケ話。そうだね、ノロケ話なんだけど聞いてくれるかな」
「……ノロケって、フツー正々堂々とそういうこと言うかな」
「あはは。九はなかなか聞いてくれなくてさ」
 ひとまず君島さんは嫌な顔をしなかったので僕は続けた。
「真季との出会いは、去年同じゼミになったからなんだ。そこに九もいて、去年のゼミもそれはもう楽しかったよ。ゼミがはじまる前にさ、真季の話すことやることくだらなくて、くだらなすぎて逆に僕には笑えちゃって、いまと一緒。君島さんならわかるでしょ」
「……バカみたいなことで賑やかな笹野さんはイメージしやすいよ」
「ははっ、そうそう。賑やかなんだよ、とにかく。真季っていつもカラカラ笑ってた。ホント、四六時中笑ってたんだ。小さな太陽みたいに明るくて、陽気で、彼女のそばにいるとなんだか照らされたみたいに温かくなって……うん、僕は真季が好きになった。そのうち真季のほうも僕に好意を持ってくれていることを知った。でも……あのときは一歩踏み出せなかったんだよなぁ」
 冷たくなりそうな心を温めようとホットコーヒーをずずっとすすった。
 思い出すのは、お互いに気持ちが向きあっているのに、これ以上は近寄ってはないけないと真季に対して距離を置いて後ろを向いていた過去。
「前にも言ったよね、大学を卒業したら僕はネパールに滞在するって。ネパールのコーヒー豆栽培が定着して、流通も整って、現地の人々の生活が安定するまでは向こうで過ごすつもりなんだ。それって何年、ひょっとしたら何十年かかるかもしれない。ときには日本に戻ることもあるだろうけど、それはほんの数日程度。つまりさ、日本からいなくなるってことは、真季と別れが約束されてるんだよね。だから、だからね……好きだって言えなかった」
「……ノロケじゃないじゃん」
 君島さんはまなじりを下げてうつむいた。まるで自分の痛みのように下唇をきゅっと噛み締めた。
「好きだって言って付き合ったら、一緒に時間を過ごして、二人でたくさん思い出作るよね。そのときは楽しいよ。絶対に楽しい。でも、別れるときにその思い出が今度は痛くなる。お互い、思い出があればあるほど辛くなるなんて簡単に想像がつく。膨らんだ風船が破裂するみたいに傷つくんだって想像したら、僕は気持ちを伝えられなかった。伝えることが相手を傷つけることにもつながると思った。自分の気持ちを殺して、僕じゃないほかの人を選んだほうが真季にとって最良だと思ったんだ」
 いま思い返せばやっぱり僕は思い詰めていたのだろう。真季にとっての最良は真季自身が決めることなのに、僕が勝手に定義していた。
 真季にはラジオ局で働く夢があった。もし、ありえないことではあるが、その夢を捨ててまでネパールに行くと強い想いを抱えてくれたとしても、僕はやはり首を横に振る。夢は尊重されるべきだし、ずっと日本で育った女の子にはネパールの治安の悪さは過酷だ。最貧国。ちらつくのは殺された僕の先輩。邦人なんて歩く金品みたいなものだろう。
「その年もやっぱり長期休暇のときネパールに行ったんだけど、こう、なんていうんだろ、胸が重苦しくて、作業していてもぼんやりしちゃって……ある日ホテルに戻ったらふっと力が入らなくて倒れちゃったんだ。もうひどい状態でさ、嘔吐するし、熱は出るし、目眩がひどくてまともに立っていられなくて、体が自由に動かないんだよ。さすがに焦るよね。朦朧とする意識のなかで連絡を取らなくちゃいけないとは思うけど、そこで『だれに?』って疑問が湧いたんだ。現地の知り合いがいるのは電話すらない田舎の貧乏な村。両親は僕のことを放蕩息子だと愛想を尽かしている。答えが出ないまま何日も寝込んだんだよ。帰国予定日も過ぎてこれは本格的にやばいなーって思っていたら幻覚を見たんだよ」
「幻覚?」
「目の前にいるんだよ、九と真季が」
「……末期だよ、それ」
「だよね。僕もいよいよ末期だなぁと思っててさ、そしたら『幻じゃねえよバカ』って九が僕の頬ペチペチ叩くの」
 うそ、と君島さんが唖然とした。
「むちゃくちゃだ、そんなの……」
「だね、僕もさすがにびっくりしたよ。僕の帰国が遅いって理由でネパールまで来ちゃうんだから」
 ネパールに出立前、九に一応寝泊りする場所教えとけと言われていた。必要ないと思ったけど、もしものときに動くのがゼミ長だと九がうるさくてホテルの電話番号と住所は伝えておいた。帰国予定日を過ぎてもなにも連絡がないから九が国際電話をかけたらしいけど、格安ホテルで満足に英語を話せるホテルマンはおらず、なにを言っているかサッパリだったらしい。
 大使館に連絡したがどうも動きが遅い。不安は真季にも伝わった。もうそれならいっそネパールに行こうと九が提案して二人は大胆にも渡航した。二人とも修学旅行のときにパスポートは作っていたらしいが、かなり安直だ。トラベル英会話の本を片手によく僕が寝泊りするホテルにたどりつけたのものだと思う。
「それでね、真季が僕を見て泣くんだよ。どうやらそのとき僕はミイラみたいにすり減ってたらしくて、か細くなった手を取ってわんわん泣くの。参ったよ。いつも笑ってる真季が滝のように涙を流すとは思ってなかったから」
 時間が経ったいまでも鮮明に覚えている。真季の目から溢れた滴が頬を伝って、僕の手に流れ落ちたこと。
 申し訳なさで胸が苦しくなったと同時に、すごく安心してしまったこと。
「それで九が言ったんだよ。まるで学校で会ったときの挨拶みたいに飾りげなく言ったんだ。『意外と近かったぞ』って」
 なんかおかしくて、笑った。
 その一言で、いままで自分の悩んでいたことがちっぽけに見えて、馬鹿馬鹿しくなっちゃって、すごく気持ちが軽くなった。
「日本に帰ってきて、僕は真っ先に真季に自分の気持ちを口にしたよ」
 君島さんは境界線を踏み越えた僕の姿をうまく想像できないのか、眉根を寄せて険しい顔つきをしていた。
「……わからないよ」
「わからない?」
「思い出ができると辛くなるってわかってるんでしょ」
「そうだろうね。ネパールに行くときなんて僕わんわん泣いちゃうかも」
「それなのにどうして……好きっていうと、相手を傷つけるって思ってたんでしょ」
「でも、傷つくだけじゃないとも思った」
 悲痛な顔をする君島さんをそっと支えるように、言った。
「あるとき真季に言われたよ。『海ちゃんは付き合うことを重く捉え過ぎ、付き合うことが一大事件の少女漫画じゃあるまいし。おぬしはピュアなヒロインか』ってさ。確かにって思ったな。付き合うって考え方は人それぞれだけど、まだ二十歳なんだし、傷ついて辛くなるかどうか、付き合ってから判断するって考え方だって悪くないと思ったんだ」
 君島さんはそれでも納得できないのかぶんぶんと首を振った。
「いまはまだ一緒にいるからそう思えるんだよ。二人に壁がないから平気でいられるんだよ」
「そうかもね。けど、高くて絶対に越えることができない壁って、案外それって自分の思いこみだったりするんじゃないかな。意外と、その気になればひょいって越えられる。だって真季がそうだった。ネパールまで来ちゃった。なんだ、あっさり越えてるんだ、自分が悩んでることってちっぽけだなーって思わされちゃったよ」
「でも離ればなれなんだよ」
「確かに」
「ずっと会えないんだよっ」
「うん」
「なんで気持ちが変わらないなんて言い切れるの!?」
「好きになっちゃったからね」
 僕は苦笑した。
 シンプルで、突き詰めればこれ以上の理由はほかに存在しない言葉だった。
「好きなんだから、もうこればっかりは仕方ないや」
 お手上げだと、僕はちょっとおどけたように両手を上げた。
「それに、意外と日本とネパールって近いみたいだし」
 陽気に笑った。真季からもらったものを、少しでも君島さんに分け与えられたらと思って。
「難しいよ」それでも君島さんの表情は曇ったままだった。「……だれもが青山くんのように割り切れないよ」
 うっすらと見えない膜が君島さんを覆っていて、僕の声が届いているかわからなかった。
 君島さんはぬるくなったコーヒーを一口飲んだ。「三ツ矢サイダーばっか飲んでるからかな。子どもの私には……苦いな」そう言って飲み残したままの紙コップを置いて、窓口から離れようとした。
「退学すること、ゼミのみんなには言わないでほしい」
「君島さん、君は――」
「コーヒー、ありがとう。退学届、よろくしね」


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25話 決断

青春アメとミエナイ彼女



 俺は、いつも自分のことで手一杯だった。
 小学生のとき、母親が仕事で帰ってくるのが遅いから自分で晩飯を作った。はじめて作った味噌汁はダシを入れ忘れてめちゃくちゃまずかった。中学になったら勉強が難しくなった。太陽が沈むまでバカみたいによく遊んでいた友人たちは全員塾に通いはじめた。みんなに置いていかれないように俺も塾通いしたかったけど、いろいろと余裕がなかった。高校になったら本格的にバイトをはじめて、家事と学業、そこに仕事も加わって自分の両手はほかになにも抱えられないほどいっぱいいっぱいだった。
 自分のことばかりで周りに目を配る余裕がなかった。いつだってそうだ。
 だから、智幸の真実を知って真っ先に目を向けたのは自分の内面だった。
 自分の感情整理にしか時間を費やせなかった。
 それはいまだってそうで、そしてそんなんだから、智幸の気持ちを考えてやれなかった。
 あいつだって、俺に打ち明けてずっと悩んでいただろうに。
「…………あ」
 目覚めれば、パソコンディスプレイが眼前にあった。辺りを見渡せば撮影に使う機材が置かれていて、自分がメディア実習室にいることを思い出した。
 静かだ。だれもいない。
 ああ、そうだ。智幸の撮影に失敗して、ここに機材を片したあと、海と真季と少し話したんだっけ。
 ……真季と海には悪いことをしちまった。
 撮影のときに怒鳴り散らしたことを二人に謝ると、あいつらはうな垂れる俺の肩を優しく叩いてくれた。
 最後の最後まで、智幸の事情を話すべきかどうかは迷った。
 けれど、二人は気づきはじめていしたし、壊れた撮影の空気のあとでこれ以上隠すこともできなかった。
 だからぽつぽつと、ゆっくり、話した。
 そしてしばらくひとりにさせてくれてと頼んだのだ。
 真季はなにか言いたげだったが、海が帰ろうと引き連れていってくれた。
 俺はこの部屋でなにをしていたかといえば、なにもしていない。ただこもって、荒んだ気持ちで智幸との別れの意味を考えていたら……いつのまにか意識が落ちていた。
 俺はどれほど眠っていたのか。部屋に窓がなくて時間感覚が狂う。
 壁掛け時計で時間を確認してびっくりした。
 もう夜明け前。かなりの時間仮眠をとっていたことになる。
 警備員に見つからなかったのは偶然か、もしくはここが研究棟の一室だからだろう。うちの大学は二十四時間開放している施設がある。それが、研究室のある研究棟。学生が昼夜問わず研究に没頭しており、卒業論文や卒業制作の締め切り前になると寝泊りしている学生もざらにいる。だから警備員は見回りこそしても、厳密にチェックはしないのだろう。
 気だるい体を起こしてメディア実習室に鍵をかけて出た。扉にある『使用中』のプレートを裏返して研究棟の出入り口まで向かった。出入り口には二十四時間警備員が駐在し受付があって俺は鍵を返却した。警備員はあくび混じりに応対していかにもやる気がなさそうだった。
 研究棟を出て広々としたキャンパスに足を踏み出すと少し肌寒かった。辺りには闇が立ちこめ、夜明け前のもっとも暗い時間のなかに俺はいた。
 やけに目が冴えている。
 荒んでいた気持ちも、仮眠をとったせいか多少落ち着いている。
 ――どこに惚れたんだ?
 撮影のときからずっとリピートされているその疑問。
 いつまでも自分の気持ちを宙ぶらりんに保留にするわけにはいかなかった。白黒簡単に感情の色を決められるものではないけど、せめて心の着地点をどうするかぐらいは見つけるべきだった。
 だからまだ家には帰らない。
 行きたい場所がある。
 世界から人類を消し去ったかのような静寂なキャンパスを横切ると、創始者の銅像が夜の闇から浮かび上がった。
 そこで思い出したのは桜の花びらが散る季節。二か月前の智幸との出会いだった。
 智幸は触れれば壊れてしまいそうなガラス細工みたいに儚げさと端正さを持ち合わせていた。乳白色の横顔は綺麗でいまでも鮮明に思い出せる。
 この場所で智幸と出会って、一目惚れしそうになって、心が揺れた。この気持ちが偽物かと言われれば、それは違う。本当だ。
 映画館であいつの小さな手が触れたときは、胸がうるさいぐらいに心臓が高鳴っていた。これも事実だ。
 触れられる世界。見た目なんて世俗的と思われるだろうけど、それでも感じた心は嘘じゃない。
 ――俺は目に見える部分に惹かれたのだ。
 次に俺が向かったのは五号館だった。
 階段を一段一段上っていくと、ヤマトの制服姿で逃げるよう走っていたあのときの自分が克明に蘇ってくる。
 屋上にたどりつくと視界が開けた。空中庭園のような趣きがあるこの場所で、智幸はベンチに座りながら三ツ矢サイダーを飲んでいた。
 あいつはベコベコに潰れた缶みたいな俺に声をかけてくれて、同じ世界に立っていることを知らせてくれた。
 俺の内側にあるモノを見て、同じ目線で会話してくれた。
 ――私は君を、笑わないから。
 そのセリフは、お守りみたいに俺の懐に入っていた。
 そんなこと言われたのは生まれてきてはじめてのことだった。自分みたいな普通じゃないやつはこの世界で俺ひとりだと思っていた。
 でも、土砂降りの雨にあいつも打たれていて、俺には傘を差してくれた。それが嬉しかった。どうしようもなく。
 ――目に見えない部分にだって惹かれたんだ。
 それはしょせん同属意識なんじゃないかと言われれば、はじまりはそうだったんだと思う。自分と近しい存在がいて、受け入れてくれて、安心したことは否定しない。
 けど、撮影のあと、智幸が離れていって、胸を抉られるほど痛かった。
 これで受け入れてもらえなくなるとか、安心できる場所がなくなるとか、そんなことはちらりと脳裏にも浮かばなかった。張り裂けそうな痛みだけが支配していた。
 ――それでも、好きでいられるか。
 目に見える部分に惹かれた自分、見に見えない部分に惹かれた自分。どっちも本当の俺だ。偽らざる気持ちだ。
「……ああ、そうだ。それでも、俺はあいつを――」
 この痛みは、そういうことじゃないか。
「……遅えよ。気づくの、遅え」
 いや、違うな。智幸の撮影に失敗したからこそ、離れてしまったからこそ、自分の気持ちに気づけたんだ。
 それでも、もう遅い。
 俺は智幸にフラれたのだ。

 ――君といると、私が嫌なんだ。

 智幸とのあの別れ方はそういうことだろう。いくら疎い俺でもそれぐらいは想像がつく。
 智幸の立場に立ってみれば、この屋上で俺の気持ちを知って、ずっと困っていたのだろう。距離を取っていままで人と接してきたのに、俺が急に踏み越えてきてしまったのだから。
 それでもゼミでは俺の相手をしてくれた。あいつが事情を打ち明けたあと俺との関係に悩んでくれた。目の下の黒い影が蘇って思う。たぶん俺が想像する以上にずっとずっと悩んでいてくれたのだ。
 これはそれで出した結末なのだ。
 だとしたら、仕方ないのだろう。
 フラれたなら、溢れるほどの想いを抱いても追いかけるべきではないのだろう。
「終わりか……」
 ここが俺の心の着地点。気持ちの落としどころなんだろう。
「ああ……」
 それぞれの道を。
 なんともあっけない幕切れだ。
 けど、世の中こんなものなのだろう。終わりがすべてドラマチックとは限らない。
「なにかが、変わっただろうか」
 目を見開いて、目に見える世界も、目に見えない世界も、どっちも真正面から見ようとしていれば、未来は変わっただろうか。
「あ……」
 あれ、なんだよこれ……。
 まぶたの裏が熱くて、視界が滲んで……。
「あれ、あれ……」
 勘弁してくれ。マジでなんだよ。なんなんだよこれは……。
 こんな、こんなことはじめてで、俺は……。
「…………っ」
 のどの奥が震える。
 上を向くという対処療法なんかじゃ間に合わない。
 なにやってんだ。情けねえことしてんじゃねえよ。くそ、くそ……っ。
 袖で目元を拭っているそのときだった。
 一面夜に塗りつぶされた世界が光によって割れた。東の空から赤茶けた太陽が顔を出す。辺りには白んだ朝靄が立ちこめて幻想的な光景が眼前に広がる。
「ああ」
 あらゆるものを照らす光。
 腹立つぐらいに綺麗な夜明け。
 鮮烈な朝焼けが、俺の進む道に光を当てているみたいだった。
 ふわりと、押されるように一歩足が前に出た。まるでその光を浴びろと言わんばかりに。
 背中を押された感触があまりに柔らかくて、それは風というより人の手みたいだった。

 ――普通になりたくて、なれる機会があるとしたら、ちゃんと手に入れてほしい。

 目を閉じて思い出す。智幸がただ別離の言葉を残しただけでなく、俺の背中を押してくれたことを。
 普通を手に入れてほしいと願われた。あいつは自分が普通とはズレた位置にあると思っていて、普通の尊さを知っていて、だからこそせめて俺だけはと想ってくれたのだろう。
 まぶたの裏に光が射した。
 目を開ける。夜を終わらせる燦然とした光源は世界に輝きをもたらし、やがて俺を照らした。



   ※



「ったく、仕事終わったのに呼び戻すなよ。相変わらず人をコキ使ってくれるな」
 今日の俺のシフトは昼上がりだった。さっさと家に帰ってすぐさま大学に向かう予定だったのに、帰宅途中で職場から携帯に連絡がきた。メッセージ便の誤配があったから配達先に受け取りに行ってほしいと。
 一度は断った。どうしても外せない予定がすぐにあるからだ。けれど、ドライバーがみんな出払っていてほかに頼める人がいないからどうしてもと頼まれて、結局俺はしぶしぶ営業所に戻った。
 タイムカード押した人間に残業させておまけにクレーム処理。フツーそこまでさせるかよ。携帯買ったこと隠してりゃよかったな。
 今度こそ家に帰ろうとして時間を確認したら予定が迫っていた。帰宅して着替えていたら遅れる可能性があったから、会社から大学に直行した。
 つまりいま、俺は作業着のままというわけだ。
「また会社の制服で登校じゃねえか……」
 大学の校門前で大きくため息を吐いてから昼の学生たちに紛れてキャンパス内へと足を踏み入れた。
 不幸中の幸い、周りの学生たちは俺のことを大学に荷物を配達していると勘違いしているのか怪訝な視線は向けられなかった。
 見上げれば、空は清々しいほどの青に染まっていた。天気予報だとどうやら今日はずっと晴れているらしい。
 太陽の日射しを受けた昼のキャンパスは夜と違う顔を見せていた。通路の横に設けられた花壇が鮮やかに萌える様を、陽光が照らし出している。明るい談笑がいつも以上に聞こえる気がする。人の表情がくっきりと見えて笑顔が咲いている。吹きつける風は穏やかで、ぬるま湯に浸かっているような暖かさが全身を包んでいた。自分が会社の服装だという気すら忘れさせるほどひだまりの世界は心地よくてぽかぽかした。
 六号館校舎に入っても窓ガラスから陽光が射しこんでいた。光を反射した通路を抜けた先にあったのは連絡事項が張られた掲示板。ピンで留められたいくつもの張り紙のなかで、俺が目を向けたのはただひとつ。
 ――社会学部転部転科説明会。
 今日が説明会当日だった。
 この説明会を受けたからといって必ずしも転部転科するわけではない。けれど説明会を受けていなければ来年度の転部転科は特別な事情がない限りとりあってもらえず、希望者は参加が絶対条件。
 説明会開始まであと少し。掲示板の前に突っ立ったまま、自分が歩むかもしれない未来を想像する。
 一部の授業料を払えるぐらいの貯金は、まあ、ある。なるべく無駄遣いをおさえて、コツコツ貯めてきた。それでも一年分だけだ。その上、生活費だってかかる。だからバイトは土日フルで働いて、早朝の仕分けもやらせてもらおう。それでも足りない分は奨学金を借りればいい。
 頭の中でシミュレートして、けれど、本当に昼の世界に足を踏みこむのかという疑問はついてまわった。
 転部なんてぼんやりと頭の中にあったものの、いままで本気で考えたことはなかった。
 だけど、今回の説明会は本気で考えてみるいい機会だと思えた。
 きっかけをくれたのは智幸だ。
 そう、あいつが背中を押してくれたんだ。
 転部転科。その文字には奥の奥には、どこにでもある、けれど日射しが降りそそぐ明るい世界、『普通』があるような気がした。
 そちらの世界に足を踏み入れれば、大学に通う時間が増えて仕事に行く時間は減る。曜日できっちりと仕事と学業が分離されて、朝から仕事して夜に大学に向かうことなんてなくなるだろう。
 社会人か、大学生か、曖昧で中途半端な存在は終わる。二部の連中と顔を見合わせる機会は減るだろうが、同じ大学にいるのだ。別に会えなくなるというわけでもない。
 この先の道を進めば、普通でいられる。
 説明会会場に向かおうと足を出した矢先――携帯が振動した。
 着信。相手は海だ。
 説明会開開始前で一瞬出ようかどうか迷ったが、無視できず通話ボタンをタッチした。
『もしもし。九。よかった。やっと通じた。いまどこにいる?』
 やけに真剣味が帯びた声だった。なにか切羽詰まったような喋り方だ。
「学校だけど」
『まだ昼なのに学校? いや、むしろよかった。どのみちそっちのほうが都合いい』
「なんの用だよ」
『話したいことがあるんだ。電話じゃなくてできれば会って話したい。どこにいる? いま休憩もらったから、そっち向かうよ』
「……すまん。あとにしてくれないか。俺はこれから用事が」
「――いた」
 携帯を当ててない左耳に、直接海の声が聞こえた。
 ストライプのネクタイに黒のスーツ。この時間にフォーマルな格好をしているのは教務課のバイト中だからだろう。気になるのは肩で息をしている点だ。呼吸が乱れている。走ってきたのだろうか。
「よかった、会えた……。九、きのうの夜電話してもつながらなかったから。だから、いま見つけられてよかった」
「寝るときは電源切ってるからな」
「ヤマトの服、やっぱり目立つね。九がどこにいるかすぐわかったよ。今日は大学に配達あるの?」
「ちげーよ。俺はこれから用事あるんだ。ゆっくり付き合ってる暇はないぞ」
「待って! どうしてもこれだけ、これだけは伝えないとと思って」
「なにをだよ」
「迷ったんだ。口止めされたけど、やっぱり九には言った方がいいんじゃないかって。それで考えて考えて、やっぱり知っておいたほうがいいと思った」
「だからなにをだよ。ノロケ話とかしょーもない話だったら俺は聞かんぞ」
「――君島さんが大学を辞める」

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